(論壇時評)閉じこもる言論 固定ファン頼み、こぼれる声 歴史社会学者・小熊英二
言論が固定ファン向けばかりになると、疎外される人々が増える。社会学者の遠藤薫は今年10月の意識調査から、対象者の59%を占めた無党派層をこう記述する〈6〉。「男性より女性でその割合が高く、若年層になるほど多く、学歴が低い層ほど多く、世帯年収も低い方が多い」「ソーシャルメディア上で他者攻撃をしたことのある人の割合が圧倒的に低い」。意識面ではリベラル層に近いが、選挙では棄権が顕著に多く、「政治に対して『自分にも何かができる』と思っている人が少ない」。遠藤は、こうした人々の声を適切にすくい取っていないことが、現在の政治・言論の閉塞(へいそく)状況の原因だと位置づけている。
こうした人々は声高ではない。だが彼らは必ずしも無知ではない。ドイツの事例では、読者が住む地域の記事のコメントの方が、世界や全国のニュースより、具体的で議論に値することが書かれるという〈4〉。人間誰しも知見は限られているが、逆にいえば誰しも他人にない知見を持っている。固定ファンに閉じた言論は、そのことを見逃しがちだ。
言論をなす者は、常に外部に開かれていなければならない。その外部とは、意見の異なる人々だけでなく、声高には声を発しない人々をも含んでいる。この当然の作法を踏まえずして、言論の質も、社会の発展もありえないのだ。
〈6〉遠藤薫「『声なき多数者』の声を聴け 意識調査から『安倍一強』の謎を解く」(Journalism12月号)